【ざぶん大賞】魔法の水
薄暗い廊下に立って耳を澄ましていると、合唱コンクール出場者の歌声が聞こえてくる。
もうすぐ私たちも観客席の拍手に迎えられ、まぶしいライトの下に出るのだ。もうやるしか
ない。自分の力を出しつくすしかない。時間と共に緊張した空気が張りつめてくる。あがら
ないように、気持ちを落ち着かそうとするうちに、二年前の一年生の頃を思い出していた。
中学校に入学した私は、合唱部に入るなんて考えてもいなかった。どちらかというと、運
動部に入ろうと思っていた。しかし、合唱部の勧誘コンサートに魅せられて、迷うことなく
入部した。最初は団体行動さえとれずに、失敗を繰り返した。その度に合唱は一人じゃでき
ない。信頼しあって「和」を大切にすることが基本だと教えられた。練習も厳しく、想像以
上に体力が必要だった。初めてのコンクールは今にもまして不安な気持ちでいっぱいだった。
今年の一年生もあの時の私と同じような気持ちなのだろうか。
そんなことを考えていると『魔法の水』がまわってきた。そう、二年前もこんな気持ちに
なった時、先輩から『魔法の水』と言ってペットボトルを渡された。『魔法の水』って何?
何が魔法なの?ペットボトルに入ったただの水としか思えないものを手に、私は考えた。
その時。先輩がこれをみんなでまわし飲みするようにと声をかけた。私も、周りにいた他の
一年生も戸惑った。私は、人が口をつけた物を飲むのは嫌だなぁ。水を飲むなら自分で持っ
てくればいいじゃないかと思った。しかしすぐに先輩の『魔法の水』の説明が始まった。『魔
法の水』は、のどを潤すためだけにあるのではなかった。
『魔法の水』を飲む本当の目的は、みんなで一つの物を飲み、気持ちを一つにまとめること
にあった。それを聞いて私は、ああ、これはスポーツでいうと円陣を組むようなものなのだ
と思い当たった。すると、『魔法の水』を分け合って飲む仲間たちがとても心強く、かけが
えのないものに思えた。この水を飲むことは、一緒に支えあってここまできた仲間への、信
頼の証しでもあるのだ。
『魔法の水』は、普段はペットボトルに入ったただの水でしかない。しかし、コンクールの
日のわずかな時間だけ、『ただの水』はみんなの気持ちをつなげる『魔法の水』に変わる。
水がのどを、体を、心を潤し、ハーモニーとなって聞く人の心をも潤していく。歌にこめら
れた溢れる私達の思いは、多くの人に伝わるだろうか。水が緑や大地を潤すように。
霧や雨の一粒が、やがて大きな流れとなり、海となり、そしてまた空へ帰っていく。そん
な自然の循環のように、『魔法の水』の伝統が、後輩達にも受け継がれていくことを心から
願い、最後のコンクールの舞台に私は立った。


