【海の文化賞】水平線
習字を習い始めたのは小学校二年の時。お母さんが「習ってみれば。」と言ったので別にいっかと思ったので始めた。家から徒歩五分でつくところに習字教室があった。「ガラガラ。」とドアを開くと思っていたより広い部屋だった。先生は結構年をとっているように見えた。
最初は鉛筆から始めた。次第に筆も始まった。鉛筆は、細くて固くて書きやすい。しかし、筆は太く、やわらかくて書きにくい。なれない作業にとまどったが、おもしろかった。
「海」という字を行書で書いたことがある。普段鉛筆では簡単に書いていたものである。しかし、鉛筆で書くのとは前にも述べたように大分違う。「海」という字を筆で書くのはにじむ。なぜなら、行書は一気に書かなくてはいけないからである。特に難しいところは、「母」だ。かすれたり、穴がなくなるからだ。そして、形が定まらない。六画目と七画目の長さが難しい。
書く時は、正座をする。背すじを伸ばす。すう…っと息をする。周りの音が静かになってそして、一気に筆に気合をこめる。
海には思い出がない。海にあまり行ったことがないし、泳げないから。だから海についていい思い出があるはずがない。泳ぎたいと思ったこともない。なぜなら、泳げなくても生きていられるから。だから海と聞いて連想するのは浜茶屋くらいである。
ただ、海がきらいなわけではない。海の広さや自由なところにはひかれる。そして、最もひかれるところは、海の色だ。昔キレイな海を見たことがある。白い砂浜があって、どこまでも続く水色の空があって、透き通るような海があった。空と海のまざり合いそうな風景が忘れられない。なぜか分からないが、安心したのをおぼえている。
「海」という字を書く時思い浮かべたことは、楽しい思い出がある海ではない。空と海と青がまざり合いそうであわないところだ。つまり水平線のことだ。
空がどんなに深い青色になっても、海がどれだけ水色に近づいても決してまざり合うことはない。まるで、一本の線で描かれた物のように思える。
海と空の境界線は、習字を書くときのはりつめた、雰囲気をあらわしているように思える。


