【ざぶん環境賞】僕たちの海
僕の家は海の目の前です。海は天候により様々な表情をみせてくれます。色も変化していきま
す。青や濃い緑色になったり、灰色になったりしてとても神秘的です。また、とても穏やかな水
面の日もあれば、大風や大雨の時は何かに憤りを爆発させたかのように荒々しくなります。東日
本大震災の余震が続いた頃は、海底から何か突き上げる様な揺れを感じると、決まって大きな地
震が来ました。以前は、夏になると近くの海水浴場へ行き、短い夏を楽しんだものでした。あの
震災が起こり、原発事故が起こるまでは。
それは忘れもしない三月十一日。今まで体験した事のない揺れに、恐くなり、足が震えました。
当時小学六年生だった僕は、あまりに強く、そして長い揺れにただ事ではないと思い、先生の指
導でクラスの皆と校庭に避難しました。学級委員長だった僕は皆を整列させて、落ち着かせ、冷
静に行動しました。校庭に腰をおろし、次々に来る余震に恐怖を感じていました。下級生達は泣
きじゃくり、パニックになる子もいました。暫くして、父が迎えに来てくれました。車で帰宅す
る途中で僕の目に飛びこんできたのは、黒い大きな渦が民家を飲み込んで次々に破壊している様
子でした。父は家に帰るのは無理だと判断し、急いでハンドルを切り、学校に再び戻りました。
あの光景は、今でも忘れることが出来ずに深く脳裏に焼きついています。
一晩学校の体育館で仲間達と眠れない夜を過ごし、次の日家に戻って家族全員が顔を合わせた
時は本当にほっとしました。ほっとしたのもつかの間、テレビには原発の様子が報道されていま
した。正直僕にはピンとこない事も多かったのですが、一刻も早く福島を離れた方が良いと、親
類が迎えに来てくれました。父母を家に残し、また家族が離ればなれになりました。その後、父
母も上京し、避難先を転々とし、三月末まで家を離れました。水道の復旧工事が遅れた為、家族
が全員揃ったのは四月の半ば過ぎ頃でした。
あの未曾有の震災から二年半近くたとうとしていますが、未だに汚染水が流れ出るなど福島
県の漁業は暗い闇に葬られたかのようです。怒りを誰にもぶつける事もできずに、行き場を失っ
た人もたくさんいます。
水産関係ばかりでなく、野菜、果物も風評被害で価格が下がり、生産者はとても苦しい思い
をしています。除染作業もすすめられてはいますが、汚染されているイメージはなかなか消えず、
数も売れなくなりました。
震災前のあのきれいな海に戻せるよう、そして僕達の大好きな宝物である太平洋の漁が太陽の
キラキラした輝きと共に勢いのある、活気あふれる漁が再開される事を願います。


