【特別賞】命ふたたび
六月八日、アマガエルの卵からいっせいにふ化して、一本の線のようなちっちゃなオタマジャクシがとびだした。
それは睡蓮を育てる水が減っていないか、確認した時のことだった。
「いつの間に、アマガエルが卵を産みつけたのだろう」
毎年、この季節になると、どこからかアマガエルの雄がやってきて、大きな声で鳴き始める。
私はこの声を聞くと、
「そろそろ産卵が始まるのかな」
と、ワクワクする。時間はいつも暗夜。
「グワグワグワッ」
静かな夜に声だけが響く。
一日、二日、三日、四日と鳴き、そして何ごともなかったかのように、パタッとやむ。私はいろんな所に水をためて、卵を確認するのが、朝の日課となっていた。
「おかしいな、今年は卵がないな」
と、あきらめかけていた。
睡蓮は高さのあるバケツの中。卵を産むのは無理だろうと思っていた。でもその中に、ちっちゃなオタマジャクシがいた。残念なことに、ボウフラも同じ水の中。私はすぐにでも水を入れかえたかった。
でも、小さなオタマジャクシをあやまって土の上に落としてしまったら大変だと考えて、水をかえるのをあきらめた。
それから一週間後。オタマジャクシの成長を見にバケツをのぞくと、オタマジャクシがいない。ボウフラもいなくなっていた。水はあるのに、どうしていなくなったのかを考えた。六月というのに、梅雨に入っているというのに、雨の日がほとんどない。睡蓮には影響しない化学変化が、水の中でおこったのかもしれない。こんな状態で、お米は育つのだろうかと私は不安になっていた。というのも、毎年ペットボトルでお米を育てているから。
去年育てたお米から種をとり、今年は二度種まきした。一度目は鳥に食べられ、二度目は雨が降り水の中に種が沈んで腐ってしまった。自然の中でお米を育てる難しさを学んだ。
いつもなら土に種をまき世話をすると、発芽して白い花をつけ実をつける。それが今年はうまくいかない。
私達人間が気づきにくいことでも、動物や植物は敏感に紫外線の量を感じとっている。これ以上気温の変化が激しくなると、外での野菜作りは難しくなるかもしれない。太陽の光をあびて、味のある強い香りの野菜を口にできる幸せに気がついた。
七月に入って庭にある、ちっちゃなビオトープをのぞいた。すると、ちっちゃなアマガエルの卵の中に、今にもとびだしてきそうなオタマジャクシの命があった。私はこの命に、ありがとうでいっぱいになった。
ちっちゃなビオトープから自然の大切さを学んだ。一度壊れると、とりかえすのに時間がかかるかもしれない。もしかしたらとり返せなくなるかもしれない。
豊かな自然を忘れないように、これからもいろんな植物を育て、虫達やカエル達にやさしい環境をつくってあげたいと考えた。


