【ざぶん文化賞】魚になった侍
2022年10月11日
ざぶん、飛びこむと同時に、両腕をひじを伸ばしたまま振り回すように水をかく。力強い
ストロークで前へ、前へと突き進む。一九四八年に開催された日本選手権。四百メートル自
由形の勇姿である。そのタイムは、同時に開催されていたロンドンオリンピックの記録を上
回る、世界新記録だった。
トビウオ、ローマに死す。二〇〇九年八月三日の新聞を見た。世界水泳選手権開催中の
ローマで、水泳一筋の人生に幕を下ろした、とあった。初めて見た写真も、威風堂々、家老
を思わせる風貌は、古えの侍を彷彿させる。古橋広之進、という名前からくる印象だろうか。
一九四九年、ロサンゼルス全米選手権で世界新記録を出すと、全世界から「フジヤマのト
ビウオ」と称賛された。その後、次々と世界記録を出し、現役時代の世界記録更新は、三十
三度と驚異的な量産である。その活躍は、一九四七年から五〇年頃にかけて、敗戦直後の日
本人に勇気を与えた。僕の祖父は、小学生だったそうで、ラジオから波を打って聞こえてく
る「フルハシ、フルハシ」に、挙に汗を握り締めて応援したという。
だが、トビウオは、オリンピックではなぜか、優勝できなかった。日本がオリンピックに
復帰したヘルシンキ大会では、日本国民の大きな期待を背負ったが、体調を崩し、八位に終
わった。その後、引退。日本水泳連盟に入り、後輩の指導にあたる。「魚になるまで泳げ」が
モットーであった。日本オリンピック委員会(JOC)会長になり、一九九〇年から会長を
十年間務め、世界のスポーツ界に君臨した。
二〇〇八年、高速水着問題が持ち上がると、「みんな、ふんどしで泳げばいいんだ」と水
泳界の将来を危惧した。同感、僕もクラブ活動で剣道をしているが、動きにスピードが出る
からといって、フェンシングのような格好で剣道は、しない。


