【特別賞】涙の雨
昨年の九月、雨が降る夏休み明の集会で、学年主任から、こんな質問をされました。
「雨などで地面にしみこんだ水は、川へ流れ、海へ流れ、そして雲となり、雨を降らすことでまた地面
にしみこむ。これを水の循環といって一回循環するのに大体七十年から八十年かかる。これについて何
か思いあたることはあるか」
誰ひとりとして答える生徒はいませんでしたが、僕も含め、きっとその場にいる誰もが同じことを
思っていたでしょう。
そう、この質問をされた昨年、二〇一五年は日本が太平洋戦争に敗れ、戦争が終結してから七十年が
経った年です。そして、今年で七十一年となります。 その後、主任はこう続けました。
「もしかすると、今降っている雨は、戦争で被害にあった人の涙かもしれないな」
僕は、この言葉に心を打たれました。部活や体育の授業をなくさせてしまったり、体を水びたしにし
てしまったりするような負のイメージしかない雨を、「人々の涙」と表現するとは。僕の雨に対するイ
メージが少し変わり、この言葉はずっと、心に残り続けました。
三年生になって、社会の授業で戦時中の日本の様子を学習しました。すると、その当時はもう何もか
も戦地につぎこまれ、食料は、「ないに等しかった」のです。「飽食」という問題を抱えている現代の
日本では、考えられないことです。ここで、多くの人々がひもじい思いをして「涙を流した」のでしょ
う。
そして、空襲が激しくなり、疎開を余儀なくされた子供達が、家族と別れる悲しさで、また「涙を
流した」のだと思います。また、親も、自分の手で子供を守れない悔しさから「涙を流した」と思いま
す。空襲で子供を死なせてしまったとなればなおさらです。
六月から七月にかけて梅雨となり、雨がたくさん降ります。また、夏になると夕立がよく降ります
ね。これは、空襲や原爆のせいで、涙を流すこともできずに死んだ人々が、原爆投下の日や終戦の日が
近づくにつれてあの世から流す涙かもしれないと僕は思います。
このような悲しい涙は、流してほしくないし、他の人もきっとそう思っていると思います。しかし、
今も中東やアフリカでは戦争もまだ起こっているし、テロという「新しい戦争」が世界を脅かしていま
す。これらの被害にあっている人は、数知れません。だからこそ、なるべく短い時間で、これらの問題
に打ち勝ち、平和になってほしいものです。
「悲しい涙の雨」は、充分降ったと思います。だから、これからは、世界が平和になって喜ぶ人々によ
る、「嬉し涙の雨」が、将来降ることを願いたいです。


