2010年度受賞作品,  ARTIST,  AWARD,  文星芸術大学

【特別賞】久慈川をたどって

「涼しい。冷たい。ちょっと寒くない」

白毛水と書いてある湧水をペットボトルにくみながら、気温が三十度を超えている昨年の八月に、私

が連呼した言葉だ。辺りは深い森で、八溝山の頂上近くには、湧水群がいくつかあった。全く人の気配

が無く、強い夏の日射しをさえぎる木々の枝、緑の濃い葉が私の目の前に続き、体感温度が頂上に向か

うにつれて、徐々に下がってきていることがわかる。

大声を出さないと、背中にゾクッとするような静けさと怖さがあり、一人では歩けない。言葉を発して

いないと、何か熊や、もののけとか、とにかく人じゃないものに遭遇しそうな神秘的な場所だ。山に神

が宿るのも納得できる。家族三人で山を歩いた。水の流れる音が聞こえるくらい静かで、太陽の光も届いていないので汗も出ない。空気がキーンと冷たく、夏であることを忘れる。

実は、二年前にもここへ来ていた。自由研究で水質調べをして、水源にたどりついたのだ。その時に比

べて、水量もかわらず多く、水も澄んでいて冷たい。辺りの木々が、ますます生い茂った状態になっていた。ここから湧き出た水は、大子町の久慈川まで下っていく。ここでも二年前同様、川の水をペットボトルにくんで、透明度、におい等を調べた。全く臭いにおいはしない。水量も二年前より多いと思えた。

この久慈川は、最終的に私の出発した東海村の豊岡や新川河口までたどりつく。新川河口にはカニの

巣穴がたくさんあって、野鳥もたくさんいた。水がきれいな証拠なのだ。水辺の生き物がたくさんいた。

二年前に、この場所でビーチコーミングに参加した。カニの巣穴の型をとったり、イソシジミを見つけ

たり、波の跡が砂にきれいに残った様子も見られて、感激したことを思い出す。

一方、カップ麺の容器にはりついた貝や、ドラム缶や木についたコケムシ等、自然環境と人間の暮らし

を考えさせられる物もいくつか見つけた。あれほど透明度が高く、においもなかった久慈川の上流だったのに、河口にくるにしたがって、川がずいぶん汚れていたのだ。その原因は、私たち人間が生活排水などで水を汚しているからだろうか。日本の下水処理システムは進んでいて、私が見学に行った時は、川に流される処理後の水はにおいも無く、透明な水の状態で返されていた。なのにどうして汚れたのか。

それはポイ捨てや不法投棄など、ゴミの選別をしないある一部の人間によって汚されているからだ。こ

のくらいはいいと思う気持ちが多くの人に生まれれば、ポイ捨てのゴミは増える。私の見たカップ麺の

器や缶等がいい例だろう。

少人数の人たちだけがきれいにしようとしても、全く良くならない。一人一人が、自然環境を守ろうと

生活することが大切だと思う。きれいな水を残すことは、未来の私たちや川に生息する生物たちにとっ

て必要なことだ。

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