2013年度受賞作品,  ARTIST,  AWARD,  柴 愛美

【特別賞】暑いからこそ

暑い日、植物に水をあげている人を見る。これは本当に良い事なのだろうか。

小学校の時、私は一時期、飼育栽培委員会に入っていた。主な仕事内容は、チャボの世話、花壇の整

備、花の水やりで、私は暑い日の花の水やりをがんばろうと思っていた。暑い日に水やりをやれなけれ

ば太陽の日差しに花が負けてしまい、花が枯れてしまうと思ったからだ。実際、確証はなく、半信半疑

だったが、それでも無条件に水をあげるのが良いことだと思っていた。しかし、それは違った。案の定暑いからこそ花に水をあげてはいけなかったのだ。その時から私の水に対する考え方は変わっていった。

世間一般からすれば人間が人工的に与えたり、飲んだりする水は害がないと思うのが普通で、むしろ

日差しが強く、いつもより取り入れた水がはやくなくなってしまう場合は、水を多く与えたり飲んだり

しようとするのは当然の考えである。

日差しが強い時に人は、たくさん水分を取らなければならない。なぜなら、人の体内の六十パーセン

トが水だからである。しかし植物はどうだろうか。植物に日差しが強い中、水をあげてしまうと、植物

に熱湯をかけた事と同じだ。つまり、気温が高い時にあげた水が気温によって沸騰してしまって熱湯に

なる、という事なのだ。私が植物のことを想って与える水が、実は植物を苦しめてしまうのである。飼育栽培委員会の先生が日差しが引いてから水をあげると良いと言っていた意味をようやく私は理解した。

このように世間一般的には多く与えた方がいいと考えられている水。水単体では害はなく、むしろ水

はありがたい存在であるが、日差しや温度、これらが関係してくると、植物の命を奪うものに変化して

しまう。水は変幻自在に色々なものに変化する。このことを理解していない人が水をあげるから、植物の命を奪ってしまう。我々は世間一般的な考えや思い込みに囚われすぎてはいけないのだ。深く何も考えずに取ってしまうその軽率な行動こそが、一番やってはならない事だと私は考える。

暑いから水を与えるのではなく、暑いからこそ水を与えないという事も、時には必要なのである。水

を命を奪うものにするか、命を支えるものにするかは、実は水を扱う人間にかかっている。その命の一滴を活用するのは人間自身なのだ。

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