2019年度受賞作品,  ARTIST,  AWARD,  須藤 真美子

【ざぶん環境賞】震災と水と福島の海

ぼくは、海が好きだ。夏には、毎年家族と海に出かけて、海の底にいる小魚を追いかけながら泳ぐのが好きだ。ヒトデやカニをつかまえたり、テトラポットまで全力で泳いだりするのは、とても楽しい。うきわでゆられて、ぼけっと青空をながめながら、海風を感じるのもすごく気持ちがいい。でも、これは、すべて新潟の海、つまり日本海での思い出だ。ぼくの住む福島の浜通りにも海があるが、福島にある海には行ったことがない。両親の話では、幼児のころに数回行ったことがあるらしいが、ぼくの記憶には全くない。あの震災以降、ぼくにとっての海はずっと太平洋ではなく日本海なのだ。

震災の時、ぼくは幼稚園の年中が終わるころで、その瞬間は父と家にいた。ゲームをしていた時にいきなり激しくゆれて、何が起こっているのか分からなかった。当時のことは記憶があいまいだが、飼っていた金魚の水槽の水が激しいゆれでこぼれ、金魚が死んだのは覚えている。仙台にいるいとこは、隣町まで津波が押し寄せ、電気も水道も使えなくなったので、震災の翌日には、郡山のぼくの家に避難してきた。幸いぼくの家は、電気も水道も大丈夫だったけれど、近所の友人の家は、水道が使えなくなり、ぼくの家に水をもらいに来た。近くの学校にも、水をもらいに人が集まって、長蛇の列を作っていた。あの震災で、ぼくは水の大切さを知った。

震災の後に原発の事故が起こり、飲み水を心配した両親はウォーターサーバーを購入した。

小学校には、毎日水筒を持って行った。水道水は何となくおいしくないのでほとんど飲まなかった。震災から八年経過した今でも、その影響は残っている。家の庭には、除染土が埋まっているし、近々それを掘り起こして別の場所に運ぶための仮置き場が、近所の公園予定地にできた。

「犬の散歩コースを変えなくちゃ」

と、母が心配している。ぼくは、どうやばいのか今一つよく分からない。風評被害で、他県では、福島の農産物があまり売れないとか値段が安いとかいう話を聞く。きちんと検査をしているのだから、大丈夫だとぼくは思うが、県内に住む人でも、心配だという人は未だ少なくないようだ。実際、会津に住む祖母は、

「中通りの米は放射能が心配だから会津の米を食べろ」

とよく言う。検査をして安全だと言われていても、何となく不安なのだ。

先日、新聞で、南相馬市の海水浴場が九年ぶりの海開きをしたと報じられていた。震災の時に壊滅した海水浴場が、昨年から少しずつ復興を遂げているというが、震災前と比べて来場者数は少ないらしい。ぼくは、その記事を読んですごく海に行きたくなった。

同時に、ぼくにとっての海は、ずっと日本海だったと気づいた。

ぼくの住む福島の海。今度は、太平洋の海でおもいっきり泳いでみたい。

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