【特別賞】受け継ぐ思い
青い空の絵の具がこぼれたような海。暑い夏。海は人でいっぱいだった。四年前のそので
きごとを、私は今でもはっきり覚えている。私の母の実家は海に近く、その頃は夏になると
よく海で遊んだ。私は海が大好きだった。あんなことが起こるまでは。
その日、私はビーチボールにつかまって浮いていた。すると、いつの間にか私は足のつか
ない所まで流されていたのだ。驚いた私は思わずビーチボールを放した。おぼれてしまった
のだ。もがいても、もがいても鼻に、口に水が流れ込んでくる。砂に足の届かない恐怖。波
に飲まれる。それでも必死に私は、浜へたどり着いた。 「もう海には入らない」
「海なんて水なんて無ければいいのに」
本当にそうだろうか。
私の家は農家。米づくりをしている。夏には緑の苗が風に揺られ、秋には黄金色の穂と
なって頭にトンボを飾っている稲。日本人の食生活を大きく左右する米も水が無ければ育た
ないし、水が悪ければ米のできも悪くなる。それだけ水は大切なのだ。
この地、清里の米が美味しいのは、水のおかげだと言ってもおかしくはないと私は思う。
それは、今まで私が米づくりのお手伝いを経験してきたからこそ言えることなのかもしれな
い。苗を取り出し、空っぽになった苗箱はもちろん水で洗う。苗を稲まで育ててくれるのも
水。そして、収穫したコメをご飯に変えるにも、水が必要だ。
私が初めて田植えの手伝いで苗箱を洗おうとした時のことだった。箱洗いが初めての私は、
田んぼでどう洗っていいか分からずに、
「お父さーん。何これ、どうやって洗えばいいのぉ?」 と尋ねた。すると、
「すぐそこに水路があるだろう。そこで洗ってくれ」 という父の大きな返事が返ってきた。
「うん。分かった。だけど水路って汚くない?」
「大丈夫、清里の水はそんなに汚れた水じゃないからね」 「うん。分かった」
私は、もう一度同じ返事を繰り返した。
今思えば、この時の会話は「水はきれいなもの」という事実で成立している気がする。水
路の水なんて使ったら、伝染病にかかってしまうような所だって全国にはきっとある。それ
だけ、この地の水はきれいなのだ。いや、昔からのきれいな水を受け継いでいるのだと私は
思う。ありがたい。
人々は、昔から水に大きく関わる生活をしてきた。縄文時代には、飲み水を得るため、水
辺で暮らした。弥生時代には、今日まで続く稲作が始まった。戦国時代には、洪水を防ぐた
めの堤防が出来た。江戸時代には上水道が出来て、水くみが楽になった。このように人々は
昔から水と関わって生きているのだ。もちろん、水を大切にしているのは、今も昔も変わら
ない。ただ少し、水に触れすぎて水の有難みを忘れているのだと私は思う。
「水なんて、ただだもの。水なんてそこら中にある」。そんなことは無い。水は今の私達、
そして未来の私達にもかけがえのない大切な存在だ。水は、昔の人々が現在へとつないでく
れた「思い」でもある。その「思い」を汚さずに、今度は私達の手で、未来につなげなけれ
ばならないのだ。水の存在を否定したあの時の言葉。「あれは大きな間違いだった」と気づ
かせてくれたのも水。昔の人々の「思い」と一緒に、その姿を変えることなくつないできた
水を、今度は私達が、受け継ぎ未来へと受け渡していこう。


