2006年度受賞作品,  ARTIST,  AWARD,  岩﨑 晴彦

【奨励賞】人の歌より海の歌

ここ数年、海水浴へ行っていない。何故だろう。それは、海を見るだけで涙が出そうになるからだと私

は思う。

海。全ての生命の起源である海。限りなく蒼く深く、そして美しい海。

私の生まれ育った石川県を包む日本海は、全てを飲み込みそうな青緑をしていて、波が沖から磯の香

りを連れて来る、そんな海だ。もちろん、波の奏でる音楽を聞きながらの海水浴も大変気持ちが良い。

では、なぜ私は海を見て悲しくなるのだろう。原因は決して一つではないと思うが、一番大きなのは

「人の手が入りすぎている」からだ。尤も安全のための消波ブロックや警報機は無くてはならないものだから、正確な意味での「大自然の中で」というのは不可能だ。

しかし、まず浜辺に散らかる様々なごみ。あれは如何なものか。全国各地で砂浜をきれいにしようとい

う運動が盛んに行われているのは私も知っている。確かに、砂浜がきれいになればごみは捨てづらくな

る。だが、今の日本には意識が薄い人が多すぎると思う。自分が出したごみは自分で持って帰る。これは当然のことだ。私は大量のごみの中にいながら、笑顔で海水浴ができる人を見ていると切なくなってしまう。

次にもう一つ。これは人によって色々な意見があると思うが、私は海水浴場に流れる流行歌が気に入ら

ない。

例えば花見、桜の下で賑やかにカラオケでも歌ってはしゃぎたい人もいれば、春の陽光を浴びながら、

そっと桜を愛でたい人もいる。この場合、私は後者という訳だ。

ただ、花見と海水浴とで大きく異なる点がある。それは、桜の名所はカラオケセットなども用意しな

いが、海水浴場は自ら流行歌を流している点である。これでは静かに波の奏でる音楽を聞きながら過ご

したい人の居場所が無くなるではないか。歌が流れている方が、気分が高揚して良いと思う人は、自分

でCDプレーヤーでもカラオケセットでも持ち込めば良い。私は折角海に行くなら、人の歌でなく海の

歌を楽しみたい。だから、私は海水浴場がわざわざ大きなスピーカーで流行歌を流す必要は無いと感じ

る。それで、海が歌う「歌」が聞こえないのはとても虚しい。

今年の夏は海水浴に行ける、否、行くだろうか。きゃあきゃあとはしゃぐ人々に混じったら、意外と

楽しいかもしれない。それとも大きなごみ袋を持って秋の海へ出向こうか。漣が静かに揺れる浜辺でするごみ拾いは、すがすがしい気持ちにさせてくれるか、もしくは・・・・・・。

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