【ざぶん文化賞】水を想う
小学校四年生の夏、兄の親友の晧一君が山梨から東京へ転校することになった。私達は最
後の思い出に、母の実家の下部温泉の近くの川へ魚釣りに出かけた。山間の渓流でやまめや
いわなを釣ろうと、足場の悪い雑木林をぬけて谷間に降りると、清らかな水が満々と流れ、
勢いづいた流れは水しぶきをあげていた。川面をなでる風は、ひんやりとした心地よい風と
なって私達を取り巻き、さっきまでの暑さがうそのように消えていった。
あまりの気持ちよさに大きな石に腰を下ろしたまま、じっと水面をみつめていると、いる
いるたくさんのやまめが。そこは小学生の夏、毎年訪れていた場所であったが、かつてこの
ように多くのやまめを見たことがなく、驚いた。餌をつけた糸を垂らすだけで魚が食いつい
てくる。流れの速い所で大きな魚を狙っている兄達も満足したようだった。後で祖父から、
最近保護のため稚魚を放流したばかりであったことを聞いて納得したが、川の自然を守り育
てる努力をしている人々のいることを思い知った。
夜はみんなでゲンジボタルを見に出かけた。これもやはり蛍の住む川づくりをめざし、幼
虫から蛍を守り育ててくれた人達のおかげで見ることができると知った。幻想的に光り飛び
交う蛍を追いかけて、川の水がきれいだった遠い昔の人々も、このような光景を見たのであ
ろうと思うと、人がしてきた事への罪深さを知った。人が自然をよごしてしまったために生
存できなくなった生き物がたくさんいる。元通りの自然に戻るまで、何十倍もの年月と努力
が必要となる。
蛍袋の花の中に、いっぴきだけ蛍を入れた。晧一君の弟かん太君へのおみやげだ。帰りの
車、後部座席から晧一君が叫ぶ。
「バケツの中の水を手でバシャバシャかき混ぜて。水の中に空気を入れてね。魚が死んでし
まわないようにね」
私はおそってくる眠気と戦いながら、必死に手を動かした。かん太君の喜ぶ顔が浮かんだ。
私は山梨県のほぼ真ん中、中央市に住んでいる。近くに釜無川が流れている。釜無川は笛
吹川と合流して富士川になり、それはやがて駿河湾へ流れていく。私は時々母と一緒に釜無
川の土手を散歩する。土手に上がると空は大きく、広い。どこまでも続くその青い空をみて
いると、いやな出来事もみな取るに足らない小さな事に思えてくるから不思議だ。
南に向かうと富士山が、北へ向かう帰り道は八ヶ岳の山々が私達を見下ろしている。あの
山頂から下りてきた水が今、私の横を流れていると思うと、自然は全て水で繋がっていると
感じる。私の体の中を流れる水も。人は自然の一部にすぎないのだ。
散歩しながら、ビニール袋等のゴミをみつけると、私は拾うことにしている。子供の頃行っ
た静岡の相原の海で、アカウミガメが好物のクラゲとまちがえて、ビニール袋を食べてしま
うと聞いたからだ。ビニール袋を食べた大半のカメは死んでしまうと聞いた。ここでも人の
作った便利な袋は、他の生き物に大変な危害を与えてしまっている。
アカウミガメの産卵こそ見られなかったが、そこにも多くの人がウミガメを守るたゆまぬ
努力をしていて頭が下がった。その人達の好意で、卵からかえったばかりの子ガメを海へ返
すお手伝いをさせてもらった。子ガメは小さくてこうらもまだ柔らかい。外敵から守る術は
何もなく、私は自分の無力さを感じた。無事にまた産卵に戻ってきてと、祈るしかない。そ
おっと砂場に降ろすと、私の掌を力強く蹴って勇敢にも波間に消えていった。
さらさらと流れる水は、空、山、海すべてをひとつにして流れいく大切なものだ。その水
がよごれていたら、私達生き物全てが生きていけなくなる。人は自然を守るための知恵を第
一優先に考え、行動に移さないといけないと思った。


