【特別賞】水とウォーター
日本の俳句の作者、俳人を代表しているのは松尾芭蕉と与謝蕪村である。そして、その二人の代表句
は次の二句と言って良い。古池や蛙飛びこむ水の音松尾芭蕉 春の海終日のたりのたり哉与謝蕪村
ところで、俳句を代表しているとも言うべきこの二句が、共に水を詠んでいるところに僕は日本らし
さが出ていると思う。日本人と水は切っても切れない縁で結ばれているのだ。
人間と水との関係は、むろん、日本人に限ったことではない。人間は水なしでは生きてゆけず、だか
らこそ人類の文明は例外なく大河のほとりに生まれ、育ったのである。しかし、多くの民族のなかでも、とくに日本人は水に親しみ、水に浸されて暮らす民族だといえるのではないだろうか。
日本がいかに湿潤な国であるか、僕は外国に旅行に行った時に思い知った。それは、日本ではレスト
ランに行くと水を出してくれるが、外国ではレストランに入っても水を出してくれないことである。ま
た、日本以外で、水道水をそのまま飲めるような国は滅多にない。だから、金を払って水を飲むしかな
いのであるが、僕たち日本人にとってそれは驚くことなのである。このようなことからも、やはり日本
人は外国の人よりも水と深く関係しているのである。
そんなことから、日本人の塊の奥底にはいつも水音が響いているのではないかと思う。つまり、日本
人は水の音に限りない親しみを抱き、安らぎを覚え、懐かしさを感じるのだ。松尾芭蕉が「古池や」と
いう語を用い、与謝蕪村が「のたりのたり」と表現した二句が日本を代表する俳句となり、共に水を
詠んでいることも、決して理由がないことではない。
では、日本人の胸の奥で水はどのような音を響かせているのであろうか。水音を表現した擬態語、擬
声語が、その微妙な音を様々に伝えている。日本語には、擬態語や擬声語がきわめて多いが、それは、
多分日本人が音に対して敏感であるからであろう。そして、それも水と深い関係があるように思う。な
ぜなら、数多くの擬態語、擬声語の中でも、水に縁のある語が目立つからである。
実際、外国の言葉で日本語程多様な水の表現をもっている例はないのではないかと思う。だから、前
の与謝蕪村の句の「のたりのたり」を外国語に翻訳するのはできないと思う。「のたりのたり」だけで
はない。水についての擬態語、擬声語はほとんど翻訳不可能なのではないだろうか。
そこで、日本語の水に関する擬態語、擬声語を上げてみる。水気を含んだ状態は「しっとり」で、そ
れが外ににじむ程であれば「じっとり」であり、湿気が過度であれば「じめじめ」である。さらに、水
滴が垂れる音は「ぽたぽた」であり、水が跳ねる音は「ぴちゃぴちゃ」であり、夕立は「ざーっ」と降
り、梅雨は「しとしと」と降り続く。 ああ、なんと多彩な水の表現であろうか!


