【特別賞】安積そ水から学ぶ
ぼくが安積そ水について調べようとおもった理由は、「夏休みの友」に安積そ水の話がのっていて、
もっとくわしく知りたかったからです。
ぼくのお母さんは、郡山の出身なので、このことを話すと、郡山に開成館というし料館があるので、
見学に行こうと言って連れて行ってくれました。
まず最初にし料館のまわりを見学しました。開たく者が住んでいた家などがあり、その当時のくらし
がよくわかりました。その先に開成館がありました。明治七年に、郡山のしょく人たちによって洋風の建てものをまねて、建てられたもので、安積開たくのじむ所もおかれていました。中はとても広くて三階建てのりっぱな建物でした。
ぼくは、なぜ当時の郡山で水が不足していたのか、そしてどのようにかい決したのか、調べました。
明治のころの郡山は、あれ地が多くて田んぼや畑がすくなかったそうです。また、全国的にも雨の量
が少なく、ため池やせきを作って水をためていましたが、その水をめぐって、昔から争いがたえなかったのです。
ぼくの知っている郡山は、田んぼや畑も多く、おばあちゃんの家の近くには、阿武隈川が流れていま
す。ぼくは、たんじゅんに、阿武隈川から水を引いてくればいいのにと思いました。でも阿武隈川は、水面がひくすぎて利用することができなかったのです。そこで目をつけたのが猪苗代湖です。
猪苗代湖の水を引く計画は、江戸時代からあったそうです。その時は、会津はんからきょ可がおりま
せんでした。明治に入ってようやく、国の計画として、安積平野の開たくが始まりました。平野に猪苗
代湖の水を取り入れる安積そ水を作るために、全国から大ぜいの人が開たく者として集まってきました。
オランダからは、ぎじゅつ者として、ファン・ドールンという人も参加しています。
ぼくは、猪苗代湖にも遊びにいったことがあります。郡山から湖までは、三十数キロメートルありま
す。このきょりに水を引くのは、大変だなあと思いました。なぜこのように水が引けたかというと、猪苗代湖の高さは五百十四メートル、それに対して、郡山市は、二百五十メートルの高さにあるので、水が流れるのにちょうどいい高さなのです。これは、自ぜんがあたえてくれた最大のおんけいだと書いてありました。ぼくもなるほどと思いました。自ぜんの地けいを利用して作られた安積そ水は、最長で七十八キロメートル、八十五万人が働き、二年たらずでかん成しました。そして、多くの水が流れるようになったのです。
猪苗代湖の水は、今では、工業用水や、飲料用水、田んぼや畑などに使われています。
ぼくは、今回勉強したことであらたに水の大切さをしりました。し料館には、水をたいせつにするこ
とは、はってんさせてくれた人への感しゃのしるしです。という言葉がありました。ぼくもそのとおりだなと思いました。


