2012年度受賞作品,  ARTIST,  AWARD,  高橋 汽章

【ざぶん環境賞】水とダイヤモンド

 

水とは、生命の源であり、生きていくうえではかかせないものである。例えば、何か飲み

物を作るとき水がなければ作ることは難しい。さらに今では、人の排出した便や尿は水で流

しているし、お風呂や手を洗う際にも水は必要だ。このように人間や植物、そして動物が生

きていくうえでもっとも重要である。

 

しかし問題点がいくつかある。それは、今人間が使用できる淡水の割合はわずか三パーセ

ントで、そのうちの七〇パーセントは北極や南極の氷であり、人間が使用できる量はわずか

〇・八パーセントだそうだ。この極端な割合には圧倒されてしまう。と同時に、利用可能な

淡水がどれだけ貴重か実感させられる。しかし、日本ほど淡水の豊富な国はないらしいが、

真夏になると決まって渇水に悩まされる。だけど、一方では洪水による被害だとか…水に関

してはとても様態を持つ国だとは思う。

 

少し話しは変わるが、

「ダイヤモンドと水では、どちらが人間が生きて行くのに必要か?ダイヤモンドはなくと

も生きて行けるし、現にダイヤモンドを一度も見たことのないまま一生を終える人だってい

る。水はなければたちまち渇きを覚える。ところがダイヤモンドは大変に高価で、一方、水

はほとんどタダである。生命を維持するのに重要なということならば逆ではないかと」その

著者は疑問を残したままにしていた。後世になってこの問題に答えようとした学者達がいた。

答えは大きく分けて二種類に分かれる。

「水は雨の日に器でも置いておけば簡単に手に入る、川へゆけば簡単に汲める、手に入れる

のに大した手間がかかっている訳ではない。一方、ダイヤモンドは険しい山の中や遠い土地

に行って、散々苦労して入手できる。入手する時の労働の量が全然違うからである」

 

別の答え。

「水はたくさんあるからだ。水が少ししかなければ生命維持用にするのだろう、さらにあれ

ば炊事や洗濯用に、さらにあれば掃除用に、しかしそれに使ってもまだあれば、散水用にし、

その上であればこぼれてもほっとくだろう。それに対してダイヤモンドは欲しがる人に行き

渡る量すらない、足りないから欲しい人で金が出せるものは、他の人より高く買うことによっ

て入手しようとする」

これは、学者アダム・スミスという人の『諸国民の富』という本。初めの答えの方が「労働

価値学説」、後の方が「限界効用学説」で、三人の学者がほとんど同時に別々にとなえたそ

うだ。

 

ぼくは、どちらかというと、水を無だにしないためにも、生命の維持を優先するにも「労

働価値学説」よりも「限界効用学説」の方が正しいと思う。労働の量や苦労よりもみんなに

行き渡り、みんなが平等である方をぼくは選ぶ。

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