【ざぶん文化賞】川とじいちゃんと僕
「健太、お前もう何時間寝てる?そろそろ起きんと、夜寝れなくなるぞ」
また……このしゃがれた声と、バカにしたような言い方。僕は半開きの目で、声がし
た方向を見た。母が開けたドアの側には、僕のきらいな怒りんぼじじいが立っていた。
「こんばんは」
僕は起き上がり、目を合わせずにあいさつをした。そして母の横にくっつき、そそくさと
歩きながらじいちゃんから離れた。田舎の夜は辺りがほどんど見えない。砂利に足をとられ
ながら、玄関の明かりを目指して歩く。じいちゃんの家へ来たのはこれで二度目。中に入っ
てすぐ、僕は二階へ上がって寝てしまった。
次の朝、僕は着替えを済ませ、朝食の席に着いた。(昨日の夜は驚いた。すぐ目の前にじ
いちゃんがいるんだもの。でもまあ、悪さをしなければ怒られないと思うけど)僕はそんな
ことを思いながら横目でチラリとじいちゃんを見、朝食を黙々と食べ始めた。この家にいる
のは、僕とじいちゃんとお母さんの三人だけだ。静かだ。そのうちに、最後の漬け物も食べ
終わった。
「ごちそうさまでした」僕は皿を重ねて持ち、立ち上がった。 「健太、魚も食え」
いきなりじいちゃんが怒鳴った。怖くて、小さな声しか出なかった。 「僕、魚きらいなんだ」
そう言うと、じいちゃんはさらに大きな声で、
「じゃあ、この家から出て行け。じいちゃんの家に、命を粗末にする者はいらん」
これだからきらいなんだ。たった一人の孫だからって、こんなに厳しくしてくれなくても
いいのに。僕は聞こえないふりをして二階にかけ上がった。じいちゃんなんかきらいだ。この
言葉を心の中で何度も言った。
しばらく二階にいた。母は買い物に出かけたようだ。 「健太、川へ行くぞ」
じいちゃんだ。階段の下にいる。行くもんか。 「行かないんだな。じゃあ留守番たのむぞ」
えっ?急いで下へ降り、僕は靴をはいて外に出た。
少し歩けば川はあった。川なんて久しぶりだ。浅そうだし、それほど流れは速くない。岩
がつき出ている所もあれば、茂みになっている所もある。僕が見とれているうちに、じいちゃ
んはもう素足で川を横切って歩いていた。僕も素足になり、じいちゃんを追いかけて川に足
を入れた。(冷たい。)でも気持ち良かった。 「健太、こっち来い。魚がいるぞ。アユだ」
僕はワクワクして行った。本当だ、三尾もいるぞ。そしてじいちゃんは、この川のことを
話してくれた。「昔はもっと澄んだ水で、魚ももっといて、じいちゃんもよく遊んだもんだ。
ほら、あそこに花火のゴミがひっかかっているだろう。海まで流れていかないといいが」
じいちゃんは少し悲しそうだった。こんな顔のじいちゃん、初めてだ。 「なんでそんなことを言うんだ?たかが川のことだよ」
僕には不思議だった。川のことでそんなに悲しむなんて。
「健太、分かっとらんの。今日の朝に出た魚は、ここで獲ってきたものだ。米や野菜を育て
る水としても使っているんだ。わしらの生活を支え、命の源となっていると言ってもいいほ
どなんだぞ。そんな川を大切に思っていない人がいるのが悲しくてな」
それだけ言うと、じいちゃんは家へ向かって歩き出した。僕はじいちゃんの後を歩きなが
ら、じいちゃんの言ったことを考えていた。川にそんなに助けられて生きていたなんて……。
僕はさっきのじいちゃんの悲しそうな顔を思い出すと、気分が沈んだ。そして少しだけ、じ
いちゃんの怒った時の気持ちも分かった。
じいちゃんの家に戻ると、母はもう荷作りを終えて待っていた。僕は急いで二階へ上がり、
荷物をリュックにつめて外へ出た。じいちゃんは野菜の手入れをしていた。
「元気でな」
僕にそれだけ言うと、じいちゃんはまた作業を始めた。僕は、車が動き出した音に振り
返ったじいちゃんに手を振った。僕には、じいちゃんの手が少し動いたように見えた。
家に帰ってきた。なんだか静かだな。
今年の夏は楽しかった。魚はあの日から、少しずつ食べる努力をしている。この姿をじい
ちゃんに見せたい。それに川にまた行きたい。川で泳ぐ魚たちを、じいちゃんのように見守っ
ていきたい。元気に泳ぐ魚たちが、水面に水しぶきを上げるときの輝きが、僕の目に浮かん
だ。


