【ざぶん環境賞】あの日の海
「ねえ、もっと漁の話をきかせてよ、じいちゃん」
小さい頃の僕の口ぐせは、こんな言葉だった。無類のじいちゃんっ子だった僕は、いわき
に住んでいる祖父の家をたずねて、祖父の話をきくことが何よりの楽しみだった。
祖父は元漁師で、若い頃は一年の大半を海の上で過ごしていたという。現役を引退してか
らも、いなだなどの一本釣りにちょくちょく足を運んでいたらしい。そして、その話をよく
僕にもしてくれた。一ヶ月前にとれた魚の話や、若い頃に苦労したこととか。その話をして
いる時の祖父は、いつも活き活きしていて、楽しそうだった。僕はその話をきくのが大好き
で、話している時の祖父の楽しそうな笑顔も大好きだった。
祖父は、よく僕を海に連れて行ってくれた。海はその時によって、いろんな表情を見せて
いた。夕日を浴びて、静かに波打ったり、時には少し荒れて黒くにごっていたり。まるで人
の心のようだった。
何年か経って、僕も少し大きくなった頃、また祖父と一緒に海を見に行った。その日は風
もなくて、ただ一面に広がっている水が、夕日を反射してきらきらと光っていた。ずっと向
こうの水平線を見ながら、祖父は僕に言った。
「どうだ、渉。きれいだろう。こんな海を見てると、自分の悩みなんて、すごく小さく感じ
るんだ。お前も何か壁にぶつかったら、また海を見に来るといい。きっと気持ちが軽くなる
ぞ」
祖父は、ひとつひとつかみしめるように、ゆっくりと話をした。その横顔は、水平線の方
を向いていたけれど、何か他の物を見ているようにも思えた。そんな祖父の言葉と、あの夏
の海の輝きは、ずっと僕の中に鮮明に残っている。
それから、僕は中学校に入学し、部活と勉強で毎日忙しくなっていった。土日もずっと休
みがなく、いつしか祖父の家にも足を運ばなくなっていた。
そんな毎日を送っているうちに、僕はだんだん疲れてきてしまった。部活が忙しくなるほ
ど、勉強する時間が減ってきて、成績もどんどん下がってきた。親は盛んに「塾に行きなさ
い」とくり返す。暗くなってきた僕を見かねて、兄貴が言った。 「お前、一回じいちゃんのとこ行ってこい。海を見て、話してこいよ」
そうして僕は、部活が久しぶりに休みになった日、一人で祖父の家に行った。バスを降り
て、海岸沿いの道を歩く。真夏の太陽の光で、海は昔と同じようにきらきらと輝いている。
懐かしい、潮風のにおい。
しばらく、ガードレールの所で海を眺めて、僕は歩き出した。あの日、祖父が教えてくれ
たこと。海は、どこまでも続き、全てを包みこんでくれる。それを教えてくれた祖父の背中
も、そんな優しい海みたいだった。


