【奨励賞】ぼくと水と金メダル
ゴールにタッチした。終わった。
水から上がったぼくはプールに一礼して、第二泳者の友達とテントに向かった。
ぼくは、宮崎市水泳競技大会で附属小六年男子リレーのアンカーを泳いだ。責任重大だ。きん張で朝
から食欲もなかったし、何も考えられなかった。レース直前は吐き気までしてきた。各学校から選ばれた強敵を相手に、一秒でも速くゴールするプレッシャーだけを受けていた。 「やったな、金メダルだぞ!」
テント前、はく手でむかえて下さった先生からその言葉を聞き、周囲のかん声で勝利を実感した。リ
レーのメンバー四人でかく得した金メダル。心の中で思いっきりガッツポーズをした。ゴール直前まで
デッドヒートのすごいレースだったとみんなに言われた。 ぼくが三さいの春、母は耳鼻科の先生からこう言われたそうだ。
「今日から耳の治りょうを開始します。長期戦です。耳に水が入ると大変ですので、お風ろはしん重にお願いします。もちろん、水遊びは禁止です」
しん出性中耳炎というこまくの中に水のたまる病気だった。そのため、耳の成長も他の子供達よりお
くれていたらしく、三さいになってもおしゃべりが上手に出来なかった原因だった。その病気の名前を言われた母は、ぼくをだっこして診さつ室でなみだをこらえるのに必死だったと聞いた。
その後、ぼくはかぜや体調をくずすたびに耳鼻科でこまくの切開を受け、耳に水を入れないよう注意
を受けて育った。幼ち園での水遊びや小学校入学後の水泳の授業は見学するのが当然になっていたので、水泳どころか水に顔をつけるのさえ、まともに出来ないまま育った。
ぼくにとって、水はずっとさけるべきものだった。
そんなぼくに、水泳の許可が下りたのが、二年生、八さいの夏のことだった。
顔つけもまともに出来なかったぼくは、二年生の夏休みを使って祖父とプールに通い、水になれる特
訓を開始した。初めて見た水の中のことは何も覚えていないし、何も思い出せない。水は手ごわい相手
だった。先生が言った水と友達になろうなんて、夢のまた夢だった。でも、じょじょに体を水になれさせ、バタ足で進めるようにはなったけれど、まだまだ泳げるという状態ではなかった。
そして九月の校内水泳大会をむかえた。当然、ぼくは泳げなかった。この時ぼくは決めた。
「来年の水泳大会では二十五メートル泳ぎきってやる!」
三年生の春休み、ぼくはスイミング教室に入会した。三年生なのに、幼ち園の小さい子供達と同じコー
スだった。ぼくは、コーチの指導を受けて進級テストをクリアしていった。
半年後、三年生の校内水泳大会をむかえた。ぼくはとてもきん張していた。となりのコースを泳ぐの
は、クロールも平泳ぎも出来る友達だ。ぼくは必死で泳いだ。手を動かして、足を動かして、息つぎを
して、必死に泳いだ。そして、二十五メートルを泳ぎ切った。ほっとした。その時のことはそれだけしか覚えていない。
そんなぼくが、三年後にリレーのアンカーを務める立場にいた。家族はすごいと言ってくれた。
水の中は雑音が少ない。だから水の中は自然と競技に集中できるのだと思う。素直なままでいい。速く
泳ぐには最適だ。きん張以外に何も感じないぼくには向いていた。でも、それだけではない。ぼくが金メダルを取るまでにはこつこつと水と過ごした時間、指導して下さった先生方、一緒にがんばった仲間がいたからだと思う。
ぼくは、みんなとはちがうぼくの十二年間で、水に色々なことを教わったきがする。
一番遠くにいたはずなのに、気が付いたらこんなに近くにいた。そんな水との十二年間は、ぼくだけに
しか経験できなかった時間だとも思う。 ぼくと水と金メダル。
ぼくの成長をずっと見守ってきてくれた、水からぼくへの金メダルだったのかもしれない。


