【奨励賞】川から宇宙へ
『この川、よごれるね』。
今私は川を見ている。すんだ空、風はそよそよ。でも、川はよごれている。5年ほど前までは綺麗だった川も彼の一言でかわってしまった。にもかかわらず、私はその『彼』をおぼえていない。でもその後『彼』は続けて『人
と自然の共存などありえない』と続けた。私は十二歳。当時七歳の私には当然のごとく反論する術などなかった。
そんな事を思い出しながら私はよごれた川を見る。私は思う、『人はなぜ高度な知能を持っていながら共存する術を見つけられないのか』。しかし、自分で思った事になら今は反論してしまう。「人は何かの犠牲なしでは生きていけない。生きるということは生物同しのせめぎあいなのだから。たとえそれが自然だとしても。」しばらく私は二つの意見についてかんがえてみた。出た答えは『全を無にかえす』。逆説的に考えてみよう、『人は生物、生物を生んだのは地球、地球を生みだしたのは宇宙。今のところ宇宙を生みだした物はわからないので元である宇宙をけすべきだ』ということだ。私はこれになっとくした。 ふいに空カンが私の視界に入った。
私はしばらくその空カンをながめていた。
不思議と「とろう」という気にはならず、ただ見ていた。まるで空カンとにらめっこをしているような気分になり、笑いがこみあげてきたので私はこらえるのに必死だった。 だいぶたち、笑いがとまった。
私は以前から思っていた『木とビニールやプラスチック』についての答えも出そうと思う。疑問はこうだ。
例えば何かのケースを作るとしよう。そこで出てくるのが『木を使うかプラスチック類を使うか』という問題。
ケースは一個や二個ではなく、何千何万の数を作る。もし、プラスチック類を使い、ケースを作り、それらがうられて、不用になり、もしもその全が川にすてられたならどんなおかしな光景になるだろう、だからといって木でその何千何万のケースを作ったならこれまた大変は事になるだろう。木は家に、紙にと使われている。
地球の全がゴミをなくすためと言って木を使ったならそれこそ自然破壊ではないだろうか。
私はこの疑問について自らがなっとくするような答えをだせなかった。もうすでに日が暮れはじめている。
結局は「私は今、地球に生きている」。 ただそれだけの事。
こんな事を考えている今日でさえ『今日』でしかない。これから私は家に帰り母親に「おかえり」と言われ部屋に入り晩ごはんになるまで部屋に閉じこもり、ごはんを食べおえるとまた、部屋にいって本をほんだり、メールをチェックしたりしてねる。そんな日常がこの先何十年続くと思うと少しつかれた。でも、私が生きているかぎり『水がかれることはないのか』とか『温暖化はどうなるのか』という問題はかわらない。結局のところなにも進てんしない。だって川をよごすのは人間だし、綺麗にするのも人間なのだから。


