【特別賞】ぼくが見た宮城県
ぼくは、足利市のユースオーケストラに入っている。指揮者の佐藤先生は、宮城県名取市の方だ。名
取市は、東日本大震災で大きなひ害を受けたことを聞いた。昨年、オーケストラでは、チャリティーコンサートを行った。
この夏、家族といっしょに宮城県へ出かけた。福島県に住んでいるじいちゃんとばあちゃんも、いっ
しょに行った。
東北自動車道を北に進み、仙台南部道路を名取市に向かい、仙台東部道路を北上していた時のことだ。
高速道路をはさんで、左側には家が建ちならんでいたが、右側には、何もなかった。平らな土地が広がっていた。しかし、緑色の草木は、全く生えていなかった。全体が、茶色のかれた草木で一面だったので、ぼくはびっくりした。おとうさんは、 「ここまで、津波が来たんだなあ」
と言った。遠くには、松の木が何本か立っていた。塩害で植物が育たないことも教えてくれた。ぼくは、あの日の津波だと思った。あの日とは、一年前の三月十一日にあった東日本大震災のことだ。ぼくも経験したが、ぼくが住んでいる所、栃木県足利市は海がないので、津波は来なかった。
その後、高速道路をおり、塩がま市へ向かった。途中、多賀城駐屯地の前を通った、前にテレビで見た
場所だった。がれきが積まれ、ガードレールが曲がっているところもあった。 「ここも、津波が来たんだねえ」
と、ぼくは言った。打ち上げられた船が道路のわきにあったので、おねえちゃんもびっくりしていた。
しばらく行くと、松島に着いた。松島にはとてもきれいな景色が広がっていた。松島では、じいちゃん
とばあちゃんに、復興支援になるからと言われ、仙台牛や海鮮丼など、ごうかなお昼ごはんを食べた。おいしかった。
その後、みんなで遊らん船に乗った。遊らん船の中では、三月十一日の様子もアナウンスされていた。
当時、船は航海していた。船底をつき上げられる程のゆれを感じたそうだ。すぐに、さん橋にもどり、近くのずいがん寺にひなんしたという。松島は、たくさんの島があったので、津波のひ害は少なかったと、テレビでは言っていたが、実際は、約二メートルくらいの所まで、水が来ていたようだ。
おみやげ売り場がならぶ大通りは、まだシャッターが下がったままの所や、空地になっている所もあっ
た。
津波の後に、火災や爆発など二度の災害におそわれた地域もあったと聞いた。ニュースや新聞では、津
波や二次災害で亡くなった人がたくさんいるのも見た。二度と同じことになってほしくないと思う。
ぼくは、今、やらなければならないことを考え、生きたくてもかなわなかった人の分まで、生きていき
たいと思っている。命を大切に力強く。


