2006年度受賞作品,  ARTIST,  AWARD,  原田 リカ,  未分類

【ざぶん環境賞】私たちの未来のために

水についての作文を考えていた、お盆の八月十五日のことである。 祖父が

「流しに行くで」

と仏壇の盆菓子をフロシキに包み始めた。

祖父の住む地域では古くから十四日は墓に先祖を迎えに行き、十五日には送って行く、と
いう風習があるらしい。 「流しに行くって何処へ」 「海やで」

そうなのだ。流しに行くとは、盆菓子を海に流しに行くことで先祖および、亡くなった人

を送るいわゆる儀式のようなものなのだ。

送られる人とは私の祖母だが、もう三十年も前に他界しているので全く面識もないのだ

が、毎年八月十五日はこうやって過ごしているように思う。

海に着くともう、幾人かの人々が同じように盆菓子を抱え、線香とロウソクを砂地に立て

ていた。
何気なく水面に目を向けると、何やら沢山の日頃は見ることのない異物らしものが浮かん

でいた。

盆菓子だ。

それも、包装されたパックのままだ。 私は思わず、

「環境破壊や」

と、叫んだ。

「ほんまやなぁ」

と、傍らで母と叔母が呟いた。 そして、

「パックから出して中身だけ流そか」 と、中身だけを海に流し始めた。

しばらくすると、一匹の魚が私達の流した盆菓子をつつく姿が目に入った。
「魚のエサになっとるわぁ」 「環境破壊も防げるなぁ」

と、単純にその時は誇らしげな気持ちになったが、果たしてそうだろうか。

魚はエサと思いつついているが、実際はエサでもなんでもなく、ただ、海の環境を破壊し

ているだけではないのだろうか。

海の水が汚染されると、魚がいなくなり、私達の生活にも影響が出始める。海の水だけで

はない。川の水だってそうだ。川に生き物が住めなくなる。

しかし、この状態を作り出そうとしているのは紛れもなく私達人間だ。

水道の蛇口をひねれば水が出る。そのくせ『水道水』なんか飲めないと飲まない。顔や歯

を磨きながら、出しっぱなしにする。台所から油を流したりする。

口では「環境破壊や」と言いながら平気でこんなことを繰り返している。

『水』のある生活にあまりにも慣れきっているのだ。その慣れきった『水』のある生活も、

ひとつの災害により急変する。阪神大震災などがそうである。

この当日私はまだ一才で、大震災の被害状況などは後の学習で知ったのだが、とにかく水

道管が破裂し、水が出なくて非常に困ったらしい。

当時、私の住んでいる地区でも、一定期間水が出なくて、ポリタンクに水をくみに出かけ、

店にミネラルウォーターを買いに出かけと、大変だったそうだ。まず、トイレが流せない。

洗濯が出来ない。お風呂に入れない。手も洗えない。食器も洗えない。わずかなポリタンク

の水で全ての事をこなすには、余りにも困難だと想像がつく。

けれども、そのような状況で生活すると、『水』の大切さが改めてわかるが、元の生活に

戻るとすぐに忘れてしまう。教訓を活かせないのだなぁと残念に思う。

私達の流した盆菓子をつつくのに飽きたのか、魚はいつしか姿を見せなくなった。

「大人はそんなに長く生きないけど、これからの未来を生きるのは私達なんやで。環境破壊

はせんといてほしいわ」

と、私は海に浮かぶ盆菓子を見て呟いた。

この盆菓子はいったい、何処に流れていくのだろうか。言えるのは、確実に海の水は汚れ

て、環境破壊の手助けをしてしまった事だ。

しかし、亡き祖母が帰って来て、もう帰っているのだと思うと、私の心は複雑になる。

この、昔からの風習と環境破壊。未来を生きる私達は、どちらも守っていかなければなら

ない。魚がはねた。まだ、海は生きている。

何をするべきか。考える前にとにかく、行動しよう。

出しっぱなしの水。蛇口をしめる。飲み残しのジュース。台所から流すのはやめよう。

全ての水は繋がっている。未来を生きる私達はその次の未来をも考えていく使命があるの

だから。

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