【特別賞】偉大なる水と洗濯ババァ
毎日、僕がお風呂に入れるのも「水」があるからだ。弟と一緒に入るとシャワーで遊んだ
り、湯舟にもぐったり、たくさんの水を使っている。その残り湯で母は毎晩のように洗濯を
する。朝もまた、残り湯が少しでもあれば洗濯をしているようだ。
父は母のことを、「洗濯ババァ」と呼ぶ。でも母は、残り湯を無駄にしてはいけないから
と、そんな父の言葉に負けない強さで洗濯をする。と、言うべきなのか僕から見ると、洗濯
する物を無理矢理見つけだしているように思う。
母が再利用する残り湯は、洗濯だけではない。玄関の出入り口が汚れていれば、わざわざ
お風呂の水を運んで、「ザッー」と流しながら洗ったり、植物に水をあげたりと、本当に無
駄なくバスタブの中が空っぽになるまで利用している。今年の夏休みは、昨日のお風呂の残
り湯をプール代わりにして、弟が楽しそうに水遊びをした。いつもなら暑いお湯なのに、冷
たいので喜んでいた弟。僕なら捨ててしまいそうな残り湯が、こんなにも多くの事に再利用
できるんだなと思った。
ある日、山ほど洗濯をした母。干して乾いた洗濯物は、洗う前より大きな山になっていた。
家族みんなが寝静まった後、うす明りの中で母はみんなを起こさないように気を使いなが
ら、大きな山のような洗濯物をパタパタと静かにたたんでいた。眠っていた僕はふっと目を
覚まし、ぼんやりと母の後ろ姿を見ていた。母は大きな山を少しずつ、手ぎわよく切り崩し
小さくしていった。みんなが寝ている間に、そうしている母を見ていると、大きかった山が
小さくなったせいなのか、母の背中が大きく見えた。数十分は過ぎただろうか、洗濯物をた
たみ終えた母が偉大に思えた。
父の言う「洗濯ババァ」は、僕らのために偉大なる洗濯ババァに変身している。そのおか
げで、僕らはいつも清潔な下着や服を着ていられるんだ。それにはまず「水」という大切な
資源が必要だ。そして「洗濯ババァ」もだ。
水があるのが当たり前と思ってしまう毎日の生活。もしも水が無くなってしまったら、僕
らは生きていくこともできない。だから大切にしなければならないのだと思った。
母の大好きだと思われる洗濯も、弟の大好きな水遊びも、みんな「水」があるからできる
こと。あの夜、洗濯物をたたむ母の後ろ姿を見てから、僕も水を大切に使おうと思った。な
ぜなら、母が毎日「洗濯ババァ」になれるようにしてあげたいからだ。
今日も朝から「ガラガラ」と洗濯機を回す音が聞こえてくる。その音が、なんだか水達の
合唱のように聞こえた。


