2011年度受賞作品,  ARTIST,  AWARD,  百鬼丸

【準ざぶん大賞】家をなくして

 

わたしは、三月十一日の大地しんと大つなみでひさいしました。

学校にいて、帰る用意をしていました。するとその時、

「ゴゴゴゴゴ」という大きな地なりがしました。

「地しんだ」と思ってつくえの下に身をかくしました。ゆれる大きさはましていき、 「ドーン、ガッシャーン」という音も聞こえました。

 

しばらくして、たんにんの先生と急いで校庭にひなんしました。五分くらいすると、

雪と同時に、大つなみけいほうがほうそうされました。教頭先生が 「六メートルの大つなみが予そうされています」と言い、 「高い所にいどうしなさい」と、しじしました。

 

そして町の一番上にある総合運動場を目指して走りました。

と中で、木のかげから清水地区にどろ水のような つなみがおしよせて来るのが見えました。

 

 

家のがれきや車が流されていくのも見えました。 やっと運動場に着きました。一時間ぐらい外にいて、

やっと体育館に入れました。

中はとてもさむく、まっくらやみでした。

そうしているうちに、発電機で電気がつきました。 パァッと明るくなり、

「オー」と声がしてあちこちから

「安心したねえ」「ホッとしたあ」

という声が聞こえてきました。

 わたしたちは親がむかえに来ないグループでした。

ごはんは少しもらえたけれど、安心できませんでした。 わたしの親はぎょぎょうをしています。

「親が流されたかもしれない。

二日ぐらいごはんを食べてなかったかもしれない」

 

そう思うと、とてもごはんを食べる気にはなれませんでした。 三日目の昼にお父さんが尾浦地区から来てくれました。

家族はみんなぶじだと聞かされ、とても安心しました。

そしてお父さんは帰っていきましたが、

夕方になると、今どはおじさんがむかえに来てくれました。 わたしは石のまきの家に一ばんとまらせてもらうことになりました。

 

次の日の朝、わたしはまた体育館におくってもらいました。

そこで、ぐうぜん尾浦の友だちを見つけました。

走っていくと、今から尾浦のひなん所に帰るところでした。

 

尾浦についてからは、お母さんたちがしえんぶっしで作ったうどんを食べました。おいしかったです。

夜はくらくなる六時にねました。朝はみんな、四時に起きました。 朝ごはんは友だちそろって、やきおにぎりやフルーツポンチを食べました。 昼は外でおにごっこをして遊びました。不安はあったけれど、 友だちや家族がそばにいたから安心できました。

十日目に、わたしはまた、おじさんの家にしばらくお世話になりました。

 

三ヶ月後、やっとかせつじゅうたくに当たり学校にも通っています。

いろいろな人にささえられて、友だちと遊んだり勉強したりすることができています。 わたしたちはこの東日本大しんさいで家をなくしたけれども、

これからも前をむいてがんばっていきます。

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