【特別賞】僕たちと水
僕は海の近くに住んでいるのだが、最近、海からの風がとてもくさい。時にあまりのくささに、家の窓
を開けるのさえもためらうことや、外から自転車で帰っている途中に臭いがきつくて、慌てて全力で駆け 抜けることもあった。台所で家事をしている祖母や、窓のすぐそばにいつも座っている母も同じことを感 じており、家の中にいても、よく「くさい」とぐちをこぼしている。
以前はこのようなことは全くなく、海のそばを通ってもくさいと感じることはほとんどなかった。この
ように感じるようになったのは、マリノ大橋が建てられてからだったように思う。工事の際に、海の底の ヘドロなどが掘り返されてしまったのではないのだろうか。
小学校六年生の時にアサリの研究をした。その際に、アサリの採取をその海に流れ込んでいる川の河口
で行ったのだが、少し掘り返しただけでヘドロが出てきて、「汚いなあ」と思ったのを覚えている。この ように人が水から離れた場所でも、においという形で害が及ぼされているのだから、水の中にいる魚など は、更に大きな害を及ぼされているのではないか。
また、こんなこともあった。僕は小学校五年生の時に、プラナリアという水がきれいな場所にしか生息
しない生物について科学研究で調べた。プラナリアの生息している川を探し、いくつか発見した。どの川 もとても澄んできれいで、深いところでも水など存在しないかのように底がはっきりと見えた。その透明 度に、少なからず感動を覚えたことは今でも忘れられない。
しかし、先日、その川の一つの前を通りかかった時、水が淀んで汚くなっていてとても驚いた。乗って
いた車から降りて川岸に寄ると、以前訪れた時との違いは歴然としていた。その上、前は石を一つひっくり返せば何匹ものプラナリアを発見できたのに、いくら探しても一匹も見つけることができずに、かなり のショックを受けた。これもおそらく川の上流付近で新しい道路を造る工事をしていることが大きな原 因だろう。そのせいで、水の流れが小さくなってしまって、あのような状態になってしまったのだと思う。 これも人の手によって水という自然が汚されてしまった例だ。
これだけではない。他にも至るところで人は水を、自然を汚してしまっている。ポイ捨てであったり、
工場からの排水であったりと、例を挙げるときりがない。僕の通っている中学校の前の川にも様々なもの が捨てられており、水も黒っぽく濁っていて、悪臭がする程汚かった。ただの生ゴミのようなものだけで なく、自転車やバイクまでもが何台も捨ててあり、それらの上に立てるような場所さえあった。その川で ザリガニをとっている小さい子どもを見ると、「何故あんな汚い所で育ったザリガニを捕まえる気になる のだろう。汚いのに」と疑問に思うと同時に、眉をひそめていた。
しかし、その川が少しだけきれいになったのだ。聞いたところでは、ある業者の人たちがバイクやタイ
ヤなどの大きなゴミを取り除き、川の一部を掃除したそうだ。ゴミがなくなったことで、なんだか
ちょっ ときれいになったように見えた。臭いもそこを通った時にはしないようになった。自分の家の近所の川だ からかもしれないが、きれいになったのを直に見た時には少し嬉しかった。
人は海や川をさまざまなことで汚してしまう。これまでに挙げてきたように、橋の建設や道路を新し
く造ったりする時には、海や川などの自然を壊してしまうことが多々ある。橋の建設は、渡ることの難し い川を渡れるようにしてくれるし、新しい道路を造ることで、行けなかった場所へも行ける。このような 多くの恩恵と引きかえに、人は海や川を汚してしまっているのだ。
しかし、人は努力しだいでそれをきれいな元の状態に戻すこともできるのだ。道路の建設などによって発生する水の汚染など、一個人の力では防ぐことのできないこともある。だが、個人個人が気をつけるこ とで、海や川を守れることも確かにあるのだ。ポイ捨てをやめるといった小さなことでも、一人ひとりが 気をつけたら、大きな成果を上げることができるのではないか。僕自身も水の恩恵を受ける一人の人間と して、自分に何ができるかを考えていきたい。


