【ざぶん大賞】サツキマスの帰る川
サツキマスという名前を聞いたのは父からだ。サツキの花が咲くころに川に遡ってくるという。
サケのように川で生まれ、海に降って大きくなり、川に戻ってくる。そんな話を父から聞かされ
た。
興味のわいた僕はサツキマスの情報を収集した。それは、氷河期に日本にやって来たサケの仲
間であり、アマゴの降海型であること。海で生活する半年の間に急速に成長し、平均的なアマゴ
の倍近くの大きさになることなど。これはすごい魚だぞ!たまらなくなった僕は父と相談し五
月の連休、釣りに行くプランを立てた。
その日は夜中過ぎに家を出て一路海部川へ向かった。初めてアマゴを釣りに行った日のことが
思い出された。あの時、車の中では眠くて退屈で…。それがどうだろう、昨年のアユの友釣りの
時も、今回もワクワクなんてものじゃない。我が家に代々受け継がれてきた釣り師の血なんだと
思うと可笑しくなってきた。
夜明け前、まだ薄暗い中釣り場に到着した。外に出てみるとすぐ近くに海が見える。今日のポ
イントは河口だ。その海の向こうからもうすぐ太陽が昇ろうとしている。劇的な一日が始まるよ
うに思えた。もう待ち切れない。今日はルアーでの釣りだ。糸を結ぼうとするけどうまくいかな
い。じれったい気持ちになってくる。気持ちを落ち着けて周囲の状況を確かめると、今まで行っ
たことのある上流域とは違い川幅が広く、流れは穏やかでのっぺりしているように見えた。でも、
水はキレイで上流と同じ底まで透けて見える。さすがだ。
このあたりと見当をつけてルアーを投げてみる。スルスルと飛んだルアーが水面に着水し、少
し沈めて糸を巻き始めてみる。流れの抵抗を受けて重く感じる。ああでもない、こうでもないと
いろいろな流し方、ポイントを試してみた。投げる前には必ず、次こそは釣れるんじゃないか
とドキドキする。そんなことを繰り返していたら時間が過ぎていくのが早い。辺りはすっかり明
るくなってきた。一人の若い男性が父に話しかけている。ルアーを投げながら、その会話を聞い
てみる。サツキマスの話だ。今年は春先の寒さで少し遡上が遅れているが、そろそろ姿を見せる
だろう。現れるとジャンプをするのでわかる。今日は少しだけ様子を見に来た…男性はそんな
話をしている。
来たっ!突然、竿に衝撃が走った。反射的に竿をあおってアワせる。それに驚いた魚が一気に
走り出した。ジーッとリールから糸が出されていく。大きな魚らしく川の真ん中あたりの水面に
糸が突き刺さったまんま寄ってこない。竿を立てて耐える。父が「ゆっくり落ち着いて!」と大
声で言った。わかっているけど、落ち着いてなどいられるわけがない。重量感のある魚が細い糸
の先で暴れているのだ。魚の引きが弱まると少しずつリールを巻いて寄せてくる。水中でもがい
ている様子が見える。体をくねらせた時、ギラッと銀色に光る。「サツキマスだ!」。何度もハラ
ハラしたけどついに取り込んだ。
あがってきたのはサツキマスではなく大きなウグイだった。魚を取り込んだ安心感とサツキマ
スではなかったショックで、その場に座り込んでしまった。父が「この魚もサツキマスと同じよ
うに海から川を目指してきたんだ」と、しょんぼりしている僕に言う。なるほど、確かにサツキ
マスじゃなかったけど、本当にすごい魚だ。まだ震えている手で、口に掛かったハリを外して川
に帰ってもらった。
その後、上流にアマゴを釣りに行った。三尾釣れたけど全部川に帰した。
夕方、もう一度河口で頑張ってみた。夕暮れの川面はギラギラまぶしく目に痛かった。突然、
水面を割って大きな影が二度、三度とジャンプした。間違いない!一瞬だったけど夕日に照らさ
れて銀色に輝いていたのはサツキマスだった。その光景に息を飲んだ。その後、しばらく川を眺
めていた。そうするうちに、もう充分だと思えてきた。サツキマスが釣れなかったのは残念だけ
ど、そう簡単に釣れるものじゃないと覚悟して挑んだんだから仕方ない。山の向こうに夕日が沈
んでいく。
この川はきっと太古の昔から変わらないのだと思う。この川が生まれ、ずいぶん経ってからサ
ツキマスが遡るようになり、それからまた時間が経って人間の生活が始まったのだろう。そんな
悠久の時の流れに対し、僕たち人間は自然を傷つけ川や生き物にダメージを与えている。それな
のに、今日も人間である僕に滅多にない経験をさせてくれ、大きな感動を与えてくれた。こんな
ことに気づけたのは、やはり水辺を通して経験したからこそだと思う。感謝の気持ちと、この川
への深い愛着がわいてくる。いつまでもサツキマスが帰って来る川でいて欲しい。そして、僕も
この川に戻ってきたい。そんな思いで海部川を後にした。


