【特別賞】石巻市を訪れて
私は、海がとてもすばらしいものだと思います。魚が泳ぎ、太陽に照らされ、輝いていてとてもきれ
いなものだと思っていました。しかし、あの震災から海にはもう一つの顔があることに気づきました。
二〇一一年三月一一日、太平洋沖で大地震が発生しました。私は、海に面していない中通りの小学校
にいましたが、大きなゆれに身も心も震えました。しかし、浜通りや石巻市、南三陸町では地震のゆれ
だけでなく、巨大津波も町を襲いました。その被害はとても悲惨なもので、私もテレビでその光景をま
じまじと見ていました。
そして、その東日本大震災から今年で五年を迎え、中学二年生になった私は、学校を拠点としている
「防災リーダーズ」に入りました。「防災リーダーズ」では、もし災害が起きたとき、どのように動き、どのように自分の命を守ればいいのか、地域でどのような災害が起きやすいのかを参加者のみんなで考えます。
今回私たちは、津波の被害が最も大きかった石巻市の大川小学校の跡を見に行くことになりました。
石巻市や南三陸町はリアス海岸と呼ばれる複雑な地形により、多くのものが飲み込まれてしまいまし
た。大川小学校に行く前に海沿いの様子も見に行きました。海沿いは、だいぶ復興が進み新しい建物や
堤防がたくさんできていました。また、震災のときに流されたとても大きな市場もすっかり直り、以前
のにぎわいが少しずつ戻ってきていました。しかし、辺りの木々を見てみると上の方に葉がついていて
も、下の方は枝が折れたり、枯れたりしていました。家々の間にある荒れ地を見ても、草の間から以前
あった家の土台のコンクリートが見えていました。
そして、大川小学校の跡地を最後に見に行きました。大川小学校は海から四キロ離れた場所にあり
ましたが、すぐ近くの大きな川をつたい、予想以上の被害が出てしまいました。また、大川小学校が避
難所だったことから判断が遅れ、その時そこにいた七八人中七四人が流され、七〇人死亡、四人行方不
明、生存者四名という悲劇が起きてしまったのです。小学校の建物の跡は震災のときのままでした。コ
ンクリートと鉄筋だけの建物になり、二階の渡り廊下はなぎ倒され、ねじれていました。行方不明者の
遺族は今も小学校に探しに来るそうです。バスでたくさんのことを教えてくれた語り部の方もそこでは、多くのことは話せませんでした。
海は私たちにたくさんの恵みを与えてくれるすばらしいものですが、時には恐ろしいものにも変わり
ます。この震災を知らない小さな子供たちと世界の人々に自然のすばらしさを伝えながら、自然の恐ろ
しさも伝えていきたいです。そして、このような大きな災害が起きたとき、どのようにしたら良いのか
を勉強し、自分の命、家族の命を守っていけるように努力していきたいと思います。


