【ざぶん文化賞】魔女の瞳
新しいトレッキングシューズの靴ひもをほどけぬようにしっかりと結ぶ。私はこの夏、絶 対に見ることを決めていたものがある。それは、日常生活では決して見ることができないも のだ。ある「瞳」だ。雨の多かった今年の夏。昨晩見た、明日の天気予報は晴れ。心が弾ん だ。ずっと待ち焦がれた日がやって来たのだ。
この夏、父と吾妻山に登った。その「瞳」は、私が住む福島市西方にある、奥羽山脈の吾 妻火山群の中にある。時計を見ると、午前五時三十分。眠い目をこすりながら、玄関を出る。 父は、昨晩の仕事の疲れを引きずっているようだが、私の足は軽い。天気は予報通り快晴。 早朝とはいえ、いつもながら福島の夏は、朝からとても暑い。まず、目指すのは、吾妻連峰 最高峰の一つ、一切経山だ。
車で四十分。登山口の浄土平の駐車場に着くと、真夏なのに空気がひんやりと感じる。一 つ、大きく深呼吸をする。高原の空気は、特別な味がする。気持ちがいい。浄土平周辺は、 荒涼とした景色と茶色い山肌に囲まれている。その斜面には、もうもうと噴煙を上げて、硫 黄の匂いがたちこめている。噴煙を上げる山の向こう側が、標高一九四八・八メートルの一 切経山である。
「さあ、登ろう」
父と二人で正面の険しい山道を、一歩一歩、登っていく。しばらく登ると突然、目の前が
パッと開ける。酸ケ平湿原である。背の低い緑の植物が一面に広がっている。真ん中に一本の 木道が、真っ直ぐに前へ伸びている。すると父に、
「木道から外れるなよ」
と、声を掛けられた。よく見ると、木道のわきの所々が、植物が生えずに茶色の土が露出 していることに気がつく。
私は、この木道を登山客が、道に迷わないように安全に歩くための単純な道路とばかり 思っていた。しかし、それだけではない大切な役割があったことが分かった。湿原は、普通 の草原ではない。湿原を作りだしている土壌は、動植物の枯死体が、腐ることなく積もった もので、一年間に数ミリしか堆積しないと言われている。人間が、不注意に木道を踏み外し、 荒らしてしまえば、何十年分の泥炭層が削り取られてしまうのだ。湿原に生える植物は、と てもデリケートで、荒らしてしまった湿原には、二度と生えてこない。
湿原をしばらく歩くと、いよいよ一切経山の入り口だ。再び山道となり、足元が、湿原の 緑色からゴツゴツした火山岩に変わっていく。息を切らしながら、不安定な砂レキを踏みし め、登りつめると一切経山の頂上にようやくたどり着いた。頂上は、朝に玄関を出た時の暑 さが嘘のように涼しい。そして、眺めがいい。駐車場は遥か下、遠くには安達太良山、磐梯 山が見える。
ほっと一息もつかぬ間に、父が私を呼んだ。一切経山の頂上から少し奥に進むと、急激な くぼみがある。そのくぼみをのぞき込むと約百メートルの眼下にコバルトブルーの大きな沼があった。
「五色沼」。通称、「魔女の瞳」である。
私は、登山の疲れが吹っ飛び、今年絶対に見ると決めていた達成感と、思っていた以上に 雄大な景色に圧倒された。
この沼は、噴火口に水がたまってできた沼である。空の雲や太陽の光の具合で刻々と微妙 に色が変化している。西から雲が流れ、東の太陽が雲の切れ間から顔を出したり隠れたりす ると、光の加減で色々な青に変化する。下からは絶対に見えず、一切経山の頂上からでしか 見えない沼だ。
何故、魔女の瞳なのか。古来より、干ばつの年にこの沼のほとりで雨を祈り、沼に石を投 げれば、「冷気たちまち到り急雨来る」と雨乞いの地としてあがめていたそうだ。
とても神秘的な沼で、昔の人が、雨乞いの神様に魔女の瞳を選んだことも分かる気がする。 さすがに今は、雨乞いの儀式はやらないようだが、笑い事ではない。
現在、世界中で干ばつや砂漠化が進行している。蛇口をひねれば当たり前に安全な水が 出てくる国もあれば、一日がかりでわずかな水をくみに行く国もある。今後、石油や資源を 巡って紛争を繰り返してきた歴史のように、水を巡って争い事が起こるかもしれない。
私達は、自然環境を守るようしっかりと心に誓わなくてはならない。再び魔女の瞳に石を 投げ入れることのないようにしなければならない。


