【特別賞】水へ還った日
生命の源は水だと、誰かが言った。それを初めて聞いたときの僕は、ピンとこなかった。でも、今になって考えてみると、なんだかわかる気がする。そうだな、あれは確か、僕が学生だったころの話だ。それは夏のはじまりで、くらくらしそうなほど暑い日の事だった。
視界が微かにゆれる。今聞こえているのは、けたたましく鳴く蝉の音と、少しあがった自分の息と、静かにゆらめく川の声だけ…。
僕は今、橋の上にいる。歩行者が通る道の欄干に立っている。いや、別に自殺を考えているわけではないんだ、決して。ただ、今は学校帰りの三時半と、すごく暑い時間帯だったから。おまけに今日は人通りも少ないから思いきりいける…。そう、つまり僕がなにをしたいのかっていうと、ここから飛びおりて、川で涼みたいんだ。なにも飛びおりなくても、と思う人もいるだろうが、今日の僕は、きっとどこかがおかしかったんだ。これは、暑さのせい、そう、全部暑さのせいだ。僕は一度空をあおいで、飛びこむ決心をする。ああ、もちろん、かばんは隅によせておいたから、誰かが通っても大丈夫だよ。そして、僕は橋から飛びおりた。それは本当に一瞬で、そう、まさに刹那ってやつだったんだけど、僕にはそれがとても長く感じられた。少しずつ、思い出が脳裏をよぎる。まるで走馬灯みたいに。いや、落ちても死ぬほどの高さではないんだけど…。それ以外、言葉が見当たらないんだ。徐々に、足元が涼しくなっていく。水面が近づいている。
やがて、僕は、
「ざぶん」
大きな音を立て、気づいたら水の中にいた。深さは、僕の伸長に五十センチ足したぐらい。おそるおそる目をあけた僕はその光景に、いつもは下がり気味だった目を、かっと見開いた。そこには、思わず吃驚するほど、何もなかった。目の前に広がるのは、すきとおった水だけ。でも、それがすごく美しかった。辺りは炎天下にも関わらず、ひんやりとした水の感触も、水の中から見える太陽の光も、耳におしよせてきんとくる水圧も、全てがとても心地よかった。
ずっと、ここにいられる気がした。だけど,ずっとここにいると、全てを忘れてしまいそうな気がして僕は早めにあがることにした。川の端まで、少し背泳ぎをしてみる。この辺りは、驚くほど静かだ。
やがて、川の端にたどりつき、いきおいよく川から体を抜きだして、少しななめになっている草が生い茂った地面を歩き、さっきいた場所へと戻ってきた。生憎今日はタオルを持っていないけれど、この暑さだ、すぐにかわくだろう。
このことを誰かに言えば、何だ、ただ川に飛びこんだだけだろうと思われるかもしれない。でも、僕は、そう、昔聞いたように、生命の源に、僕が生まれるもととなった水に、還ったような気がしたんだ。


